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競輪選手の紹介(6)本田晴美選手



本田晴美(ほんだはるみ)選手は、長きに渡り競輪界を引っ張ってきた選手として有名です。2013年9月現在も現役選手として活躍しており、年代を問わず多くのファンが存在します。

ここでは、競輪だけではなく、自転車競技の選手としても数々の好成績を残している本田晴美選手について、紹介します。

本田晴美選手の経歴

本田晴美選手の経歴

本田晴美選手は、1963年11月12日に岡山県久米郡に生まれ、高校卒業後、日本競輪学校に第51期生として入学しました。在学中は目立った成績を残していませんでしたが、1983年のデビュー戦以降、確実に実力を伸ばしていきます。1983年4月には広島競輪場で初勝利し、9月には豊橋競輪場で初優勝を飾ります。そして、1984年にはS級レースで優勝するなど活躍し、最優秀新人賞を獲得しました。しかし、当時の競輪界でトップ選手であった中野浩一選手、井上茂徳選手、滝澤正光選手を打ち破ることは難しく、度々勝利を逃してきました。2013年9月現在で、通算の出走数は2,600回を超え、優勝54回、1着は513回となっています。通算500勝の節目は、2012年に地元の玉野競輪場で達成しました。通算の獲得賞金総額は、2012年時点で9億円を超えています。

無冠の帝王

無冠の帝王

本田選手は、競輪と同時に自転車競技にも参戦しました。1987年から1989年に渡り3度、世界大会に出場しています。1987年には、ウィーン世界自転車選手権の「ケイリン」に出場します。それまでの日本人選手は、世界自転車選手権の「スプリント」で中野浩一選手が10連覇をしていたものの、「ケイリン」の種目では結果を残せていませんでした。日本の公営競技である「競輪」と「ケイリン」は、基本的には同じルールで行なわれるものの、テクニックやレース運びの仕方に差があり、日本の競輪選手が力を発揮することができていなかったのです。そんな中、本田選手はウィーン世界自転車選手権のケイリンで、日本人として初めて優勝を勝ち取りました。しかし、世界的な自転車競技では栄光のタイトルを獲得しながら、国内でタイトルのかかるレースでは、2013年現在、2着までしか成績を残せていません。これが、本田選手が競輪界において「無冠の帝王」と呼ばれる由縁でもあります。

独特の競争スタイル

独特の競争スタイル

本田選手の競争スタイルは、加速すればする程その速さが増していくもので、「ターボエンジン」と呼ばれていました。世界選手権の「ケイリン」も、このターボエンジンによる加速で優勝を見事に勝ち取りました。全盛期を過ぎると、ターボエンジンを発揮することは減っていきましたが、そのスタイルは今なお多くのファンを魅了し続けています。