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競輪選手の紹介(5)中野浩一選手



中野浩一(なかのこういち)選手は、代表的な競輪選手として多くの人に知られています。「ミスター競輪」とも呼ばれ、数々の大会で活躍しました。

ここでは、競輪選手としてだけでなく、自転車競技の第一人者として、スポーツ界に大きな影響を与えてきた中野浩一選手について、紹介します。

競輪選手としての経歴

競輪選手としての経歴

中野浩一選手は、1955年11月14日に福岡県久留米市に生まれ、家族は父母共に競輪選手という環境で育ちました。高校時代は短距離の陸上選手として活躍し、高校卒業後に日本競輪学校に入学します。そして、日本競輪学校で1年間ハードなトレーニングを積んだ後、1975年に卒業し、プロの競輪選手としてデビューすることになりました。デビュー戦から驚異の18連勝を飾り、鮮烈な印象を残しました。翌年の1976年には最優秀新人賞、特別敢闘選手、最多優勝選手最多連勝記録選手章、ベストテン賞と様々な賞を総なめにしました。その後も活躍を続け、1992年に37歳で引退するまでの17年間、競輪界のトップに君臨し、圧倒的な強さを発揮しました。通算で1,236回出走し、優勝は158回、1着は666回、4着以下はわずかに248回というものでした。生涯における獲得賞金総額は13億2,764万677円です。

競輪界を引っ張った華々しい活躍

競輪界を引っ張った華々しい活躍

中野選手は、競輪史上に輝かしい成績を残しています。中野選手の活躍により、競輪業界は大きなブームを迎え、途中、そのあまりの強さから他の選手から過度の牽制を受けることもありました。中野選手の強さは突出しており、レースの仕方にすら変化をもたらしました。他の選手は、一対一では中野選手に対抗することができず、2人から4人で連携して走る「ライン」という戦法が作られました。しかし、そのような中でも数々のタイトルを手にし続け、1980年には年間獲得賞金額が1億円を突破し、その当時プロ野球の王貞治選手でも達していなかった領域に、日本のプロスポーツ選手として初めて辿り着きました。

自転車競技の選手として

自転車競技の選手として

中野選手は、競輪だけではなく、自転車競技の選手としても世界的に活躍しました。1977年のベネズエラで開催されたサンクリストバル世界選手権自転車競技大会で、プロスプリントで日本人として初めての優勝を手にしました。その後、1986年のアメリカ大会まで世界選手権10連覇という大記録を打ち立てます。その強さから「世界の中野」と呼ばれました。

自転車を普及するために

自転車を普及するために

引退後には世界選手権での活躍が認められ、2006年春に競輪選手としては初めて紫綬褒章を受賞しました。また、2013年に日本自転車競技連盟副会長に就任し、自転車競技の発展を支えるだけではなく、日本自転車振興会の顧問を務めるなど、様々な形で自転車の普及に尽力しています。