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競輪選手の紹介(4)中井光雄選手



中井光雄(なかいみつお)選手は、日本競輪学校が創立される以前より選手登録されたひとりで、戦後に開催された競輪競技を支えました。

ここでは、そんな中井光雄選手について、紹介します。

競輪選手としての経歴

競輪選手としての経歴

中井光雄選手は、1933年11月11日に滋賀県に生まれました。1950年7月20日、16歳という非常に若い年齢で競輪選手として登録します。登録番号は「4992」で、日本競輪選手会滋賀に所属し、16歳という若さでデビュー戦を飾りました。そして、デビューしてわずか3年後の19歳には競輪界のトップにまで上りつめます。1953年の第4回全国都道府県選抜競技競輪(のちにG1となるレースの前身)の3,000m競技で優勝したのです。また、同年の第8回全国走覇競輪で優勝、翌年の1954年からの高松宮同妃賜杯では3連覇し、その地位を確立していきます。その後も数々の大きな大会を制した中井選手は、38歳で出場した第25回日本選手権競輪で決勝戦に勝ち進むなど、20年以上に渡りトップとして君臨し続けました。

ライバルであり師弟でもある松本勝明選手

ライバルであり師弟でもある松本勝明選手

デビュー戦以来、輝かしい功績を残していく中井選手にとって、最大のライバルは松本勝明選手でした。中井選手は滋賀県の大津市を拠点としていましたが、松本選手は山をひとつ隔てた隣の京都府京都市におり、練習で度々顔を合わすことになります。松本選手は中井選手よりも5歳年上で、中井選手が新人の頃、松本選手はすでに当時の競輪選手ではトップの実力を持っていました。中井選手にとって、松本選手のような良いお手本となる選手が近くにいたことは、幸運だったのかもしれません。中井選手は松本選手の背中をみて練習を励み、結果を残していきます。そしてついに、通算のタイトル数で松本選手を上回ることができました。しかし、通算勝利数では松本選手の1,341勝に対して中井選手は1,016勝に終わり、遠く及びませんでした。本人いわく、最盛期を過ぎてからも勝利を重ね続けた松本選手に比べ、落車や失格が増えたことが勝利数を伸ばすことができなかった要因であると振り返っています。

引退とその後

引退とその後

中井選手は1989年、56歳のときに現役を引退しました。選手生活は40年あまりでした。引退後には、1995年に発足した特に優秀な成績を残した者にしか入ることの許されない日本名輪会の会員に入会します。日本名輪会の会員を冠したレースが各地で開かれるようになりましたが、2013年現在、中井選手に関する大会は、京都向日町競輪場で名輪会カップ中井光雄杯として開催されています。