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競輪選手の紹介(3)吉田実選手



吉田実(よしだみのる)選手は、日本競輪学校が創設される前から競輪選手として活躍した稀有な選手です。

ここでは、競輪の黄金期を支えた選手として知られている吉田実選手について、紹介します。

自転車競技との出会い

自転車競技との出会い

吉田実選手は、1934年5月1日に愛媛県西条市に生まれました。生家は自転車店を営んでおり、幼い頃から自転車に親しむ環境にあって、自転車レースにも度々参加していました。中学生のときに参加した「全日本アマチュア自転車競技選手権大会」では、少年の部で優勝を果たすなど、若くして才能の片鱗を見せていました。ちょうどその頃、日本では太平洋戦争の戦後復興の一環と自転車産業を普及させるために、公営競技として初めて競輪が開かれました。吉田選手にとっては願ってもない機会となり、中学卒業後の1950年7月25日に、競輪選手として選手登録をします。これが吉田選手のプロ競輪選手としてのスタートとなりました。選手登録番号は「5568」で、選手登録地は出身地である愛媛県でしたが、その後、登録地を香川県に移し、観音寺競輪場をホームバンク(競走路)として活躍することになります。

競輪選手時代の活躍

競輪選手時代の活躍

吉田選手は、デビュー戦後も順調に活躍していきました。吉田選手の名が日本中に広がるきっかけになったのは、1953年の第2回競輪祭で、惜しくも優勝は逃したものの2着に入ったことです。この頃の吉田選手の最大のライバルは、大阪の石田雄彦選手でした。同い年であったこともあり、石田選手の活躍に触発され、昭和30年代の競輪の第二黄金期と言われた時代、吉田選手と石田選手は競輪界を支える選手となっていきました。特別競輪では、吉田選手は6回、石田選手は5回制覇するなど、輝かしい成績を残しています。また、競輪ファンの記憶に残るレースとして、1958年に開催された第13回全国争覇競輪(のちの日本選手権競輪)が挙げられます。このレースでは、ゴール直前に多くの選手が落車しましたが、吉田選手は他の選手に追突され自転車が大破しながらも、自立してゴールするという驚異的な粘りを見せました。その結果、吉田選手はこのレースで優勝を果たし、初めて特別競輪のタイトルを手にしました。

自転車競技へのこだわり

自転車競技へのこだわり

吉田選手は、競輪選手としての活躍はもちろんのこと、世界に対しても日本の自転車競技のレベルの高さを示すきっかけを作っていきます。世界自転車選手権に出場したものの、入賞することはできませんでしたが、その後、世界で活躍した日本人選手の足がかりとなりました。1994年4月8日に60歳で引退しましたが、それ以前の10年間は不死鳥や鉄人と呼ばれる程の不屈の体力で選手生活を送りました。成績は、松本勝明選手に次ぐ1,232勝を挙げ、偉大な競輪選手として語り継がれています。