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競輪選手の紹介(2)加藤忠選手



加藤忠(かとうただし)選手は、ヘルシンキオリンピックの自転車競技の日本代表として出場した選手のひとりで、日本における自転車競技の先駆者として輝かしい成績を残しています。

ここでは、アマチュア時代を経て、競輪選手として活躍した加藤忠選手について、紹介します。

オリンピックの日本代表として

オリンピックの日本代表として

加藤忠選手は、1935年1月4日に生まれました。若干17歳のときに、フィンランドで開催されたヘルシンキオリンピック(1952年開幕)の自転車競技日本代表選手に選ばれました。当時の加藤選手は、競輪選手を目指して日々過酷な練習を積んでいましたが、書類上の問題で日本競輪学校への入学が叶わないと悩んでいました。オリンピックへの出場は、そんなときに巡ってきた思いがけないチャンスだったのです。出場した自転車競技の種目は、個人ロードレース、1,000mタイムトライアル、4,000m団体追い抜きの3種目でした。当時、日本製の競技自転車の部品の多くが木製であるのに対して、海外は軽合金という技術的な差があったにもかかわらず、1,000mタイムトライアルで26位、4,000m団体追い抜きは19位という成績を収めています。個人ロードレースは、自転車のパンクによるアクシデントで、途中棄権という残念な結果となりました。このヘルシンキオリンピックへの出場により、その年に日本で一番活躍した自転車選手として表彰されています。さらにオリンピックと同じ年、数々の世界的な自転車競技大会に参戦し、招待試合であるデンマークで開催された競技では、ついに優勝を手にしました。アマチュアの自転車競技の選手として、世界各国10ヵ所以上を転戦するなど、輝かしい成績を残しています。

念願の競輪選手

念願の競輪選手

ヘルシンキオリンピックが開催された翌年の1953年、加藤選手はついに日本競輪学校6期生として選手生活をスタートすることになりました。念願のプロの競輪選手への道が開けたのです。そして加藤選手が18歳のとき、アマチュア時代の輝かしい成績を携えて、プロとしてのデビュー戦を迎えました。デビュー戦は、新たに開設された静岡競輪場で1953年3月26日に開催され、結果は初戦1着、さらには完全優勝という堂々たる記録を残しています。その後の現役時代は、日本競輪選手会静岡に所属し、数々のレースで好成績を収めました。

競輪選手引退とその後の経歴

競輪選手引退とその後の経歴

1992年12月11日、57歳で引退するまでの通算成績は3,580戦598勝、競輪のプロ選手として実に30年あまりの長い選手生活を過ごしました。引退後は、静岡県で自転車整理や再生自転車の整備に携わり、発展途上国への自転車普及に力を入れています。