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競輪場情報

競輪の歴史(①始まり~全盛期)



競輪は公営競技として、多くの人を魅了しています。

ここでは、日本における競輪の歴史について、その始まりから競輪全盛期を迎えるまでの経緯を紹介します。

競輪の誕生

競輪の誕生

競輪の誕生は戦後すぐ、まだ日本がGHQの統治下にあったころです。自転車とサイクルスポーツの振興のため、東京の有楽町に国際スポーツ株式会社が設立されました。この会社設立の本当の目的は、戦後の復興資金の調達のため、戦後人気を集めていた競馬に続けて自転車競技を賭けごとの対象として利用することでした。

しかし次第に、国際スポーツ株式会社だけで自転車競技の運営を行なうことは不可能であると分かり、国の法律として制定してもらおうと国に働きかけました。その提案に興味を持った人物が、当時の内閣総理大臣「片山哲」です。

社会党執行部の賛同を得て、自転車競技法の法案作りに着手します。法案は1943年6月26日に衆議院で可決し、同年7月1日には参議院でも可決しました。そして、1943年8月1日には自転車競技法が施行され、日本における自転車競技法が成立しました。公営競技として競輪が誕生した瞬間です。

競輪の開催

競輪の開催

自転車競技法の正式な施行後、初めての競輪競技は、1943年11月20日に九州の福岡県小倉市にある小倉競輪場で開催されました。同年10月には、同じ福岡県で行なわれた国民体育大会でも競輪が取り入れられています。

競輪場の建設には膨大な費用が必要だったため、多くの自治体が競輪の必要性を理解していても尻込みをしている状態でした。そんな中、小倉市は、自転車競技場の建設にいち早く名乗りを上げました。小倉市で野球の試合を開催することを条件に、競輪場の建設を承諾しています。こうして、小倉市で第1回の競輪競走が開催されることとなりました。

競輪の発展

競輪の発展

第1回の小倉競輪で発売された車券は「単勝式」と「複勝式」の2種類で、車券の収益の25%から必要経費を引いた金額が自治体の利益となりました。収益的に、小倉競輪は予想を上回る大成功を納めました。

小倉競輪の開催前は、競輪は赤字もやむを得ないという風潮があり、先行きが不安視されていました。しかし、予想に反して小倉競輪が大成功したことから、財政難打開策として多くの自治体が競輪に参加をすることになります。

それからは日本各地に相次いで競輪場が建設され、1953年には全国に63ヵ所もの競輪場が建設されました。その後、数年間に亘って、競輪は黄金期を迎えることになります。